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尊敬する人は、高田純次です。
世間から切り離されて、最近ようやく落ち着いてきた気がする。
今思うと、本当に混乱していたんだな、と思う。 今も目の前のことでいっぱいいっぱいではあるけれど、なんとなく気持ちに余裕がある気がする。 去年は色々と大変だったように思う。 思い出そうとしても全然思い出せないから、もしかしたら自分で大変だと思い込んでるだけで本当は大して何も無かったのかもしれないけど、とにかく何だかんだと大変だった気がする。 信じていたものがどんどん崩れていって、何もかもが信じられなくなって。 「人を信じられないのは、自分を信じられないからだ」ってのはわかってたけど、だからといって解決できるわけでもなく、それでも前に進まなくちゃいけなくて。 「何が正しい答えなのか、どうすれば良かったのか」を常に考えて、「あぁすればいい、こういう人間が素晴らしい」なんてのを真に受けて悩んだりしてた。 今ならわかる。 「正しい」答えなんて、存在しない。 正確に言うと、「普遍的に唯一正しい答えなんてものは存在しない」ということだろう。 パラドックスになるのは置いておくとして。 とにかく、善とか悪とか、そういったものは物事の本来的な性質ではないと思う。 「何が正しいか」、「どうあるべきか」ではなく、ただただ、「どうありたいか」に尽きるのではないだろうか。 今思えば、くだらないことでたくさん悩んだ気がする。 あと、自分を信じるのも、案外簡単なことだった。 単純に、努力をすればよかっただけだった。 自分に力がつけば自信になり、他人の挙動にとらわれなくなる。 その余裕が、人を信じることにつながる気がする。 8月4日に税理士試験があるのだけど、今のところ自分で納得できるだけの勉強はできている。 間に合うかどうかは分からないけど、精一杯やるだけだ。 一日ごとに成長を実感できる日々がとても楽しい。 努力することがこんなにも楽しいものだとは思わなかった。 何となく、大学受験の頃を思い出す。そういえば、あの頃も楽しかった。 最初からベストを狙うのではなく、ベターを積み重ねる。 それが俺の結論だ。
友達っていうのは、もしかすると結構選ばなきゃいけないのかもしれない。
色々思い返しているうちに、心が醜くなり始める転機が、だんだんわかってきた。 人の揚げ足を取ったり、人の弱い部分をつついたり、人をむやみに非難したり、 触れて欲しくない部分を踏みにじったり。 それでいて、「自分は正しい」と信じ込んでるから厄介だ。 あいつと出会ってから、特に、仲の良かった先輩が卒業した4年生のときから、 接触する機会が増えた。 特段こちらから接触することはなかったけど、向こうから寄ってくるので適当に 合わせているうちに、気がつけば一番絡んでいる人間になった。 (とはいえ、最後まで俺から絡むことはなかったけど) そうこうしているうちに、すっかりあいつの人の醜い部分とか弱い部分を見る目が 俺に備わってしまった。 見たくないのに見えてしまう。 もっと早く気づくべきだった。いや、気づいていた。 あいつと会うとストレスが溜まるし、無駄に長引くし。 多分、一番嫌いなタイプだ。 だから、責められるべきは、ハッキリと主張しなかった俺だ。 でも、友達ってのは、選ぶもんじゃないと思ってたんだよなぁ。 人ってのは、周りの人間の影響を結構受けるもんだと思う。 特に俺は、受けやすい方だと思う。 たまたま、俺はこれまで人に恵まれてきたからよかったようなものの、これからも そうだとは限らない。 むしろ、これから社会に出たら、良くない影響を受ける可能性の方が大きいかもしれない。 だから、この関係は、「主張すべきところは主張しなければならない」という教訓と、 その実践の場であったと捉えるべきだ。 また、他にも、「人を批判してばかりいると心が醜くなる」とか、「謙虚さが無いと人から応援 されない」とか、色々なことを反面教師として教えてくれる。 それに、これから社会に出るには、そういう人間との付き合い方も学ばなければならないだろう。 そういう意味で、やっぱり友達は、選ぶべきではないと思う。 選ぶべきは、情報だ。
久しぶりに昔の友人に会って、自分の心が醜くなったのを痛感した。
何とも利己的に、ネガティブになったもんだと感じた。 やっぱり、あまりに一人でいることは良くないと思う。 どうしても、考え方が独善的になる。 前は、少なくとも半年くらい前は、もっとみんなのことを平等に見てたはずだし、人間自体、わりかし好きだったように思う。嫌いでもあったけど。ただ、個々の好き嫌いってのは、そんなになかったように思う。 でも、今は相手の能力とかメリットとかで態度を変えたり、勝手に優劣を決めてる自分がいて、そんな自分に非常に嫌気が差した。 前はもっと、純粋だったはずだ。 たまには人に会おうと思った。 話は変わって。 今の自分は、あの日、自己否定をした結果だと思う。 3年前に別れたあの日。 自分が変われば、もしかしたら振り向いてくれるかもしれないと思って。 振られるような自分が、許せなくて。 あの頃と比べたら、今は色々なものを手にしている。 先輩たちには可愛がられ、後輩たちには慕われ、仲間には恵まれ、社会人とのつながりもある。 それなりにやりたいことも見つかった。 昔は結構引っ込み思案だったけど、今は少しは前に出られるようになった。 カクテルとかも作れるようになったし、本も読めるようになった。 ちょっとは人のことも考えることができるようになったし、多少は考えも大人っぽくなった(と思いたい)。 でも、やっぱり今でもたまに思う。 あのまま付き合っていられたら、きっと幸せだったろうな、と。 もしかしたら、これは夢なんじゃないか、と。 でもそれは、あくまで昔のまま続いてたらっていう話で、今あいつとやり直せたところで、もうそれは別の人間の、別の話に過ぎないと思う。 世界史に無意味な仮定をつけて、いじくり回すのと似ている。 気持ちの整理はつけたはずだったけど、もしかしたらこれは一生の問題かもしれない。 それとも、前に進んだら解決するのだろうか。 進まなきゃ、な。 俺のことを本気で好きって言ってくれる人がいるのに、そんなことを考えてしまうのは非常に申し訳ない。 思い出はズルイ。 思い出はいつまでもキレイで、しかもどんどんキレイになっていくから。
この決断が一番ベストだったと思う。
無理に奪ったところで、罪悪感を抱えながら付き合うのは嫌だし、 かといって、このままダラダラこの関係を続けるのもお互いに良くない。 自分の為に堕ちていく彼女を見るのも辛いし、人にすがる様に生きる自分も許せない。 そんなのはきっと、俺の求める幸せからは程遠いんだ。 俺はすごく弱い人間だと思うけど、せめて自分の足で立っていたい。そして、相手を支えたい。 それくらいのプライドは、持っていたいと思う。 だから、暫くは一人で生きていこうと思う。 とか何とか言ってるうちに、姉と妹ができました。 うーん、幸せすぎて死ねる。 ここ数年来の悪夢ももう完全に終わったし、やっと時間が動き始めた気がする。 どうやら俺の周りは良い人ばっかりで、もう少しみんなに甘えたり頼ったりしてもいいらしい。 あー、うん。何か、この先何があっても、俺はもう生きていける気がする。 みんな、ありがとう。
最近、というか、ここ暫く、非常に虚しさを感じている。
それは、昔からあったのけど、目を背け続けていたのか、 それとも、最近になってそうなってしまったのか、それはわからないけど。 とにかく、まるで世界の法則が急に変わってしまったかのように、 信じていたはずのものが、ガラガラと音を立てて、崩れていくんだ。 これは悪夢なんじゃないかと、今でも思う。 でも、きっと覚めないであろうこともまた、わかっている。 何と言うか、自分ではどうにもならない何かが、自分を押し流している気がする。 まるで悪夢のように、理不尽な展開で、突き落とされる。 与えてから奪うなんて、どういうことだよ。 俺がそんなに、悪いことをしただろうか。 俺の願いは、多分今も昔も、変わってないと思う。 自分の居場所が欲しかった。 自分が、居てもいいんだと、ここに居たいと、そう思えるような場所が欲しかった。 ただ、それだけなんだと思う。 夢とか希望とか持たなきゃ、楽に生きられるのに。 それでもまだやっぱり、人間でいたいと思う自分がいる。 その一方で、「殺して、殺して!」と叫ぶ心の声も聞こえる。 いったい何なんだ、俺の人生は。
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